わたなべまさし  ブータン 徒然日記

青年海外協力隊として、ブータンで活動しています!! 日々の活動やブータンでの暮らしを発信しています。

途上国の洗礼を受ける その3 ~通信サービス編~

time 2016/09/14

以前、インターネットが開通したとお伝えしましたが。
実は、使える容量が3.8GBという制限付きだったので、不要不急の更新を控えておりました。
今回は、インターネットが安定して使えるようになるまでの物語をお伝えします(笑)

かなりの長文です。

 

私の生活圏での私が持っている携帯電話会社(のSIM)の通信は、ヤフーのトップページを開くのに数分かかったりします。
もちろん数分かかって開ければラッキーで、基本的にはタイムアウトになります。
これはもはや使えるとは言えません。ちなみに、画像の伴わないSNSでのやりとりはなんとか出来ますが、Lineのメッセージが24時間遅れで届くこともちょくちょくありました。
学校のWiFiはというと、週に数回使えればいいほうで、使えても使うのが面倒になるくらい速度が遅いのです。
しかも、やたらと停電が多くて停電中はもちろんWiFiは使えないので、インターネットに接続することは出来ません。
というわけで、自宅で開通したADSLの3.8GBの容量というのは自分にとっては大変貴重な通信網で、調子乗って使うことが出来ませんでした。

実は、ADSLの回線を引き込むまでも、いろいろと困難がありました。
赴任した翌日に、「JICAとのやりとりでインターネットが必要なので、 As soon as possible でADSL回線の手続きをしたいのですが」と伝えたところ、

校長が電話局の知り合いに電話してくれたのはいいのですが、今は忙しいから来週以降にまた電話してくれとのこと。
校長 「来週になったら電話しとくよ」
という返事だったので期待して待っていましたが、10日ほど経ってもなんの進展もありません。

自分 「いつになったら、電話局の人が来てくれるんですかね?」
とやんわり校長に聞いたところ、

校長 「おっ 忘れてた・・・。」 とあわてて電話してくれました。
そしたらなんと翌日の午前中に工事に来てくれるとのこと。 本当に忙しかったの??
翌日の午前中、9-10時の間に来るとのことだったので、学生2人を借りて自宅外まわりの排水トラブルを修理しながら待っていても一向に工事の担当者は現れません。
11:00頃に学校に戻って校長に説明すると、再び電話して確認、

校長 「どうやら予定が変わって、何時になるかわからないんだって。」

まったく日本では考えられないお粗末な対応。

ただ、来れる時間がわかったら電話くれるとのこと。その前に予定変わったなら電話ちょうだい!!
その日は土曜日で午前中で授業が終わり、自宅で昼食をとった後、電話を待ちますが15時をすぎても電話はかかってきません。
16時頃に同僚がやってきて、

同僚 「2年生が作業している現場に行くぞ!!」 と言うのですが、

自分 「いや、それがまだ電話工事の人来てなくて・・・」

同僚 「えっ、まだ来てないの・・・。」

そんなこんな話しをしている最中に電話工事の担当者が裏の崖の藪の中から現れました。

どうやら近所で固定電話を敷いている人が全くおらず、遠くの電柱から電話線を引き込むのに苦労していたようで、100m以上電線使うんで追加料金がかかりますとのこと。
自分 「いくらでも払うからお願いします(--〆)」
部屋に引き込むための穴も事前に用意しておいたので、自宅の中での作業はスムーズ・・・

「えっ?」

なに、電線ねじって接続しておわり??  しかもそのねじって繋いだところを保護するために使ったテープ、ここに置いてあった俺のガムテープだよね。。。
とにかくもまあ、二度目だけど日本じゃあ考えられない対応に苦笑するしかない。
線の接続後は、日本だったら、担当者が何やら機械をセットして、電話局に電話して電話局内の設定が終わった後、電話が繋がるかどうかまでチェックするんですが、
ここでは何もありませんでした。
そして、担当者いわく、「工事はこれで完了なので、あとは電話局に行って手続きしてください、そうしないと使えません」
ちなみに、あなたの電話番号は、「×××-××××」と口頭で伝えられるのみで、紙きれひとつ渡してくれません(T_T)

 

週があけて月曜日、校長が機嫌よさそうに、「インターネットは使えるようになったか?」 と声をかけてくれましたが、

自分 「電話線の工事は終わりましたが、街の電話局に行って手続きをしないと使えないので、街に連れて行って欲しい」

と言ったところ、少し機嫌が悪くなり、

校長 「地元民は自宅に電話回線(ADSL)を敷く人はほとんどいないんだよね、敷くのは外国人くらいで、詳しいことは俺にはわからないよ」

と言いながらも、

校長 「近いうちに考えておくよ・・・」 とのこと。
ああ、まただよ、これ、また忘れるパターンだなきっと(T_T)
案の定、何事もなく週も半ばを過ぎましたが、ある日、サッカー会場に電話局の窓口の人がいるのを校長がみつけ声をかけると、

電話局の窓口の人 「今、400Nu払ってくれたら手続きやっておくよ」 といい感じの対応。

でも、400Nuでは3.8GBの容量しかないことを知っていたので、

自分 「いや、もっと容量の多いプランでお願いしたいんだけど。」

電話局の人 「一般家庭では3.8GBで充分だよ、もし、使ってみて足りないようだったら、料金プラン変更すればいいだけだから・・・。」
それ以上何も言えず、その場で400Nuを払い、IDとパスワードを再び口頭で言われたので、自分のメモ帳に書いてもらいました。

翌日の午前中から使えるようになるとのこと。
しかし、その後数日間バタバタ忙しく。(わが校のサッカー部は、順調に勝ち進み最終的には優勝しました。別記事をご参照ください。)
時間がないながらも接続設定を毎日試みますが、一向に繋がりません。
ADSL用のモデムを、以前活動していたいた隊員の「譲りますBOX」から2つ持ってきていたのですが、
1つは箱も取扱い説明書もあって、とても綺麗なモデムなのですが、いくら設定しても繋がりません。

繋がらないまま5日くらい経ち、ようやく時間ができたので、ダメもとでボロくて説明書も何もないモデムを
接続し、解析しつつ、設定画面になんとかたどりつき、IDとパスワードを入力したら見事に接続!!
「おおっ~\(◎o◎)/!」

まさか、綺麗で状態のよさそうなモデムが壊れているとは。。。

しかし、ここでお話しは終わりません。

 

3.8GB、溜まっていたメールの受信や返信、日本の仕事のための作業をこなしていたら、数日で半分以上使ってしまいました。

いやはや全然足りない。そりゃそうだよな、スマホなら3.8GBでいいだろうけど、パソコンでは無理があるよ。

ブータン人は家でパソコン使ってネットサーフィンするという文化がないから、一般家庭では十分というのもウソではないけど。
翌日さっそく、校長に相談しました。

自分 「やはりインターネットの容量が足りないので、近日中に街に行って手続きをしないといけないので、街に連れていって欲しい。」

校長 「近いうちにアレンジしとくよ」
それから約10日間、街に行くどころか、自分も建築現場に同行したりしてたのでバタバタしており、落ち着いた頃に校長と同僚はネパールに出張へ。

校長は出張前日に、街に連れて行けなかったことを詫びながら、〇〇に相談するといいよ!! と言い残して旅立ちました。
その後、事あるごとに街に行きそうな事務員に声をかけるのですが、タイミングがあわず・・・
ちなみに電話局は平日しかやっていないので、土曜日の仕事終わりに街に行っても手続きが出来ません。
インターネットが開通してから3週間後、ついに容量を使い切りインターネットが使えなくなり我慢出来なくなった私は、
自分 「インターネットの手続きや、銀行など、生活に必要な手続きでどうしても街に行かなくてはならないので、明日お休みもらっていいですか」

と、校長の次のボス、トレーニングヘッドに切り出したところ、

トレーニングヘッド 「もちろん、構わないけど、どうやっていくんだ?」

自分 「今日の夜のティンプーからの長距離バスを捕まえて、街で1泊して明日の夜にはタクシーで帰ってきます。」

と伝えたところ、

トレーニングヘッド 「まだ街には日本人の知り合いいるんだっけ?」

自分 「もういませんよ。 適当にホテル探して泊まります」

トレーニングヘッド 「街に行くだけでホテルに泊まるなんて、ホテル代がもったいないな。
街に行きたい人が何人かいたら乗合いタクシーが出るはずだから、聞いておくよ、まあ、俺は使ったことないから電話番号知らないけど。
とにかく、今日の夜は出発しないで、明日の朝、タクシーがつかまるようだったらタクシーで行って、タクシー捕まらなかったら、
俺が連れていくよ。」

と言ってくれました。
そりゃありがたい。

でもおいおい、ちょっと待ってくれ。

赴任して数日の頃、街までどうやって行くか聞いた時に、バスもタクシーもこの村にはないから、校長かカウンターパートに頼めって言ったよね。

タクシーあるんだったら教えてよ(--〆)
翌日、なんの連絡もないので、街に行く準備を持って学校へ。
どうやら、タクシーが捕まったらしく、8:45頃から事務の男性と校門の前で待ちます。

事務の男性 「俺の足、ケガしてなければ俺が連れていってあげたんだけど。 銀行はどこか知ってるか?」

自分 「銀行は1回行ったからわかるよ、今日はATMカードをもらわなきゃ。」

事務の男性 「電話局はどこかわかるか?」

自分 「うん、行ったことないけど、バス乗り場の近くって聞いたけど。」

事務の男性 「そう、バス乗り場の近くだけど、〇〇のお店に入って、どこか詳しく聞きなよ。
いや、やっぱりまさし1人で行くのは難しいと思うよ。今日じゃなきゃダメか?」

といろいろ心配してくれましたが、

自分 「大丈夫だよ、1人で行ける。これも勉強だから。」
別に旅慣れているので、何も不安はないんだけどね。まあ、不安があるとすれば語学だけで。
逆に誰かに来てもらうと遠慮が出ちゃうから自由に行動出来ないし。

タクシーは、9時すぎにやってきました。タクシーに乗り込み、事務の男性と別れます。

タクシーは、途中で何人か拾ったり降ろしたりしながら街に向かいました。
しかも、事前に利用する人の待ち合わせ場所がわかっているようで、到着するとクラクションを鳴らし、
出て来た人を乗せていきます。

最後に乗ってきた2人のうち1人は、ひどく体調が悪そうで1人が介抱しながらの乗車。
病院に行くのでしょう。
おそらくこのタクシーの運転手の携帯番号を知らないと利用できないこのタクシー。
常連の乗合いで、成り立っている様子。
値段は全然安かったけど、公共バス、1日1往復くらいあったほうがいいと思うのは自分だけかな。

通常ならば1時間の道のりを、何度も止まったので1時間半かけて街に到着。
久しぶりの街。(といっても、とても小さな街です。東西に5分も歩けば街は終わりです。)

到着して銀行、電話局と肝心要の用事を済ませ、無事にインターネットの容量のアップに成功。

その後、床屋へ行き、材料屋で水道や電気の材料を買い揃え、食料の買い出しにも行きました。
ちょうど食料も危機的状況だったので、タイミングがよかったけど、今日の市場は品揃えがあまりよくない。
それでも、買える物は買っておかないと次いつ来れるかわからないので、持てるだけ買い込みます。

ちなみに過去2回は「100リットルのバックパック」を背負ってきたのですが、今回は乗りあいタクシーともあって、バックパックを持って来なかったのが失敗。もう既に重たくて持ちきれない。

まだまだ買いたい食料やお酒などはあきらめて電器屋さんへ。

顔なじみになった電器屋さんで、炊飯器と電子レンジを買い、高いお金払ってタクシーで帰るつもりでいたのですが、用事が終わったら電話をしなさいと、心配してくれていた事務の男性が言っていたので電話をすると、帰りのタクシーを探すから、そこらへんで待っていろとのこと。
電器屋で一旦荷物を預かってもらっていたので、再び買い物をしていたら、女性が声をかけてきて、

女性 「チュメに帰りたいのはあなた?」

自分 「はい、チュメに帰りたいんだけど、同僚がタクシーを呼ぶって言ってたから・・・。」
話しが噛みあわないけど、女性いわく、彼に頼まれたんだとか。

その後、事務の男性とも電話が通じ、

事務の男性 「チュメ行きのタクシーはもう出ちゃっててつかまらなかったんだけど、いとこが街にいるっていうから頼んだんだけど、もう会えたんだね。無料で帰れるよ」
そんな、優しさいっぱいのブータン人に助けられながら、無事に帰ってきました。
電話工事の対応はさておき、いや、忘れることにしよう。

実は、銀行も電話局もすごく親切に対応してくれたし、値段は首都よりも高いけど、親切で丁寧な接客の電器屋さんあるし、とにかく面倒見のよいブータン人。

不便なエリアに住んでいるから、余計に有難く感じるのカナ。
自由に行動できないのは、正直つらいけど、そのマイナス点を考慮しても、ブータン好きだなあ。

プロフィール

わたなべ まさし

わたなべ まさし

わたなべまさし 本名 渡邊雅信 2016年7月5日より、青年海外協力隊員としてブータンで活動中。 1977年生まれ  会社経営 たまに役者 [詳細]

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